ソーシャルゲームとの付き合い方について考える

私はプレイしているソーシャルゲームは3つと少ないほうだが、時間は大いにかけていた。課金はしていなかったが、そのかわりに時間を払っていたようなものだ。課金ができないぶん、一日中端末の前に張り付く日も珍しくなかった。ここまで私がソーシャルゲームに無課金でプレイすることに固執し続けたのは、私がプレイしているゲームは基本的に「かけた時間は裏切らない」タイプのゲームだったからである。ちまちまと素材を集め、毎日欠かさずレベリングやらミッションやらをクリアし、イベントは最後まで走りきるのが当たり前だった。

しかし最近「かけた時間は裏切らない」という私の中の常識が崩れてしまった。あるゲームのイベントで私は酷く絶望した。使っているキャラのレベルは上限、素材だって何ヵ月も前から貯め続けていたのに、一向にクリアできる気がしないのだ。あと一歩のところで敵を仕留め損ねてしまう。まるで試行回数と運で突破するしかないイベントのようだった。時間さえかければ良いという攻略法が通じなくなってしまった。

結局、私はそのイベントを最後まで走り抜いたが(攻略していて気持ちが悪くなってきたりもした)、完走報酬を手に入れたあとは虚無感しかなく、他のソーシャルゲームをする気も起きなくなってしまった。

しかし私はこれをマイナスの出来事とは捉えていない。今までソーシャルゲームに使ってきた時間を別のことに使うための転機が訪れたのではないかと考えている。

ソーシャルゲームを生活の中心のようにしてはならぬ。息抜きでやるくらいが丁度良いのだ。またソーシャルゲームをプレイしたことは悪だとは思っていない。ソーシャルゲームは私がそれまで興味を持たなかったものに興味や関心を持たせてくれた。ソーシャルゲームに当ててた時間を、そのゲームのモチーフとなったものがある記念館や博物館、図書館に出掛ける時間に使っても良いと思っている。

ソーシャルゲームで得た興味や関心をどこかで使えないかと考えている。